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9月1日(木)

 

こんにちは。よく分かりました。体調が悪くなると、悲しかったり、寂しかったり、支えて欲しくなったりします。それは、普通の人でも同じように感じるような気がしました。今は体と心が合ってきたようです。車輪のような関係ですよね。どちらとも、大事ですよね。秋は好きですね。何気ない思い出を浮かべると、寂しくて、愛しくて涙が溢れます。秋の色合いが、僕の心に勇気をくれます。落ち葉が落ちて粉々になっても、1枚1枚に意味や役割があって、また木々の栄養になって舞い戻ってくる感じが好きです。僕も生きている意味があると思えます。話は変わりますが、イヤホンがどうして絡まるのか不思議で仕方がないです。

それはどうすることもできないです。面白いことを思いつきました。毎朝、起きるとイヤホン線が7回ほど結ばれています。僕は霊気を感じました。とある寂しかった患者さんがイヤホンをして、ラジオを聴いていました。それでも、会いたい看護師さんと関わりたくてわざと結んでいましたが、誰も解いてくれなくて霊になりました。どうして7個、絡んでいるかというと階数と会いたい看護師さんがいるところです。なので、イヤホンの線を解いてね。100年前の話だった。というかイヤホンないだろうね。最近は、本当になかった怖い話をしていません。何を聴いているの。好きな人の気持ちを聴いているの。何が聴こえる。愛が(笑)という話をしました。

9月2日(金)

 

こんにちは。今日は妄想していました。僕は基本的に声が可愛い人が好きです。声優が好きですからね。心が落ち着くような優しい声が好きです。妹キャラ系が好きです。頭がおかしいわけではなく、変な人でもありません。ただの趣味です。僕の好きな小説を可愛い声の人から読んでもらいたいです。2万円ぐらいで売っていたら買いますね。少女漫画のセリフもいいかもしれません。そういうことを考えると笑顔になります。あとは、コスプレを見ることも好きですね。僕だけの世界は面白いと思います。少女漫画の主人公が近くにいてくれますからね。想像力があります。詩とかにも登場します。そうやって現実にないものをあるように思うことで生きることができます。悲しみも寂しさを忘れられます。そういう気持ちがあると、敏感な看護師さんが分かってくれているように思います。僕のくだらない話を理解してくれる人がいます。3年前は、話せる環境ではありませんでした。オタクではありません。

9月3日(土)

 

こんにちは。疲れました。毎日、悔しいこともあります。前より、涙が溢れるようになりました。悲しみにも喜びにも向き合ってきました。そうしたら、未来は変わっていきます。正直に生きられたら、嫌なことがあっても何気ない幸せを掴むことができます。自分にも人にも愛して、大事にできるようになりたいです。成長が唯一の希望です。体がボロボロなっても豊かな心があれば、なんでもできるしなんでも叶えられると信じています。僕にしかできないことをやれることを好きなことをするだけです。大きいか小さいかではなく、自分らしくあればそれでいいのです。自由になるには、今の苦しみを乗り越えます。応援して下さい。

9月4日(日)

 

こんにちは。今日は天気がいいです。秋の優しい日差しです。最近は、ゆっくりと過ごす余裕がありませんでした。体に不調になると、心も疲れてしまい何気ないことを忘れてしまいます。難病だから、常日頃から不調や不具合が起きます。いつどうなるか分からない状態です。そんなの子供のころから分かっていたことです。今、この殻に閉じこもっていいのか、そこまで怯えることはあるのかと思います。迎えに来るときは迎えが来ます。こればかりは、自然に身を任せるしかありません。僕は訪れる毎日を懸命に生きることです。この瞬間に感じることを文章にしたいと思います。泣いても変わらない現実なら、笑顔で変えられる現実を見つけたいです。その1つ1つを豊かにすることが自分らしいです。人や自然と触れることで、幸せホルモンが分泌されて体の自然治癒力が高まります。外に出られること誰かと話せることに感謝して生きていきたいです。

9月5日(月)

 

こんにちは。毎日を懸命に生きています。人から優しくて話しやすいと言われます。僕が今まで関わってくれた人が優しく親身に話を聴いてくれたからです。僕の力というよりみなさんの力のおかげです。それをありのまま吸収できる環境にいたからです。人は独りでは生きていけません。そういうふうに、生まれる前から完璧ではなく未熟なところが山ほどあります。人は人から影響を受けて成長することができます。僕の体は動きませんが、人に対して思いやりを持って、何気ない日々に感謝して、この懸命に生きている姿を伝えています。何かしら感じてもらえる存在だと思います。お互いが支えたり頼ったりできる世界になると嬉しいです。

9月6日(火)

 

こんにちは。僕はどこに歩いていくべきかと悩むことがあります。この2年間は心理学の勉強をしてきました。自分のことを知ることが相手を知ることになります。心に偏見や価値観を押し付けずに、フィルターを外してありのままに話を聴けるようになりました。人には変えられること、変えられないことがあると学びました。けれど、その人がこの世界にいることはかけがいのない存在であり、生まれてきたことには何かしらの意味や価値があることを肌に感じました。どんな境遇でも、どんな環境でも夢や目標を持ってそれを目指して努力したり変わろうとしたりすることで、楽しく幸せに過ごすことができると教えて頂きました。自分自身を見つめ直すことができました。僕は難病の方に、前向きに生きて欲しいと願っています。不安な時や将来に希望を見いだせないときにスカイプを使って、話を聴ける人になりたいです。今はまだまだ修行中です。命のある限り、何かを追いかけたいです。やりたいことがあれば、頑張ることができると思います。文章で気持ちを伝えるのと、人の話を聴いて役に立てるなら嬉しいです。二つを大事にしていきます。

9月7日(水)

 

こんにちは。心がすっきりしました。僕は優しかったし、懸命でした。一昨年に辛いことがありました。「私はこれからどうやって生きていけばいいの。あなたと繋がりたい。」と泣きながら言われました。僕は可哀想という感情と、怒りの感情がありました。けれど、そのままにできませんでした。おんぶに抱っこしてしまいました。僕は利用されるだけ利用されて、傷つけられることになりました。あの頃、拒否できなかった自分を責めました。相手との話し合いで決着は付きました。悔しかったです。僕はそれからいじる、ほめる、話を聴くことサービスをやめました。また自分自身の気持ちを正直に伝えるようにしました。正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言えるようになりました。今の環境では実践しても、クレームになってしまいます。僕は上辺の組織が嫌いです。何も生産しないからです。そういう人たちとは近づかず、離れようと思います。身近に愛してくれる人を大事にしていきます。僕の取り組みは間違ってはいないけど、求める場所を見極められなかっただけです。また頑張ります。

9月8日(木)

 

こんにちは。毎日、大変です。けれど、それだけではありません。僕が笑うこともありますし、楽しんでいることもあります。僕は話を好きです。ちゃんと話を聴いて頷き笑ってくれます。なんだか嬉しいし気持ちを受け入れてくれている姿に救われます。分かってあげられるか分からないけど、理解したい姿勢に心を打たれます。病気や制限された生活の中で1人でも2人でも、話ができる人がいると頑張れます。辛いけど、人の温かさを触れると希望と勇気が湧いてきます。全てのことがうまくいきそうになり、生きていることや自然の育み、自分自身をかけがえのない存在だと思い、大事に愛せることができます。魔法にかかったように優しく温かくこの世界が見えます。それが僕の生きる源だと思います。ありのままに正直に計算しないで、人と人が頼り支え合い、今以上に豊かになると嬉しいです。僕が生きる姿から感じ取ってくれたら幸せです。みなさんがいるから生きられます。ありがとうございます。

9月9日(金)

 

こんにちは。最近になって心が楽になりました。僕の背中に重い石が乗っていました。押しつぶされそうになっていました。重い石の存在する理由が分からず、打つ手が無くなっていました。間違っていることを間違っていると主張しても、通らない現実にぶつかりました。僕はそんな自分を責めていました。人として協調性が乏しいのかと、人として変わっているのかと思いました。僕は人によって態度を変える人が苦手です。馴れ合いが苦手です。上辺だけの話が苦手です。生産性の関係が苦手です。どうしてかというと、僕がそういう表面的な協調性を作るのが得意だからです。それで傷ついたり、嫌な経験をしたりしたからです。ありのままで正直に生きなくては変わらなくてはと焦っていました。苦しくてもがいているのに結果がでないような感じです。世の中には表面的な協調性があるように思います。全てありのままではいられないです。それは仕方がありません。人のことなんていいのです。自分のことを自分が知り、取り組み、信じて、勇気を付けて、頑張っていることを認めてあげたら、それでいいはずです。この重い石は分かっていれば、隅に置けます。間違っていることばかりに反応しないで、この人は僕の中では理解をすることはできないから距離を取ればいいです。だからこそ、本当の協調性がある人と関わろうと思います。お互いを尊重できる繋がりを。

9月10日(土)

 

こんにちは。毎日、出産しています。何かといえば、文章です。詩や作詞や日記や作文を書いています。大変です。苦労しながら、向き合いながら、大事にしながら、書いています。完成すると誕生すると嬉しいし、達成感があります。そして声に出して音読すると愛情が芽生えます。こんな気持ちがあったと素直に認めながら浸ります。涙が出ることもあります。文章は残ります。1年後ぐらいに読み返すと、自分自身が成長していることに気づきます。あの頃の文章があるから、今は世界が広く眺めるように、優しく温かさを感じられるものに変わりました。子供たちが教えてくれます。何千文字から支えられています。うまい詩を書くことや、適当に書くことはありません。正直にありのままを楽しみながら書きます。魂と命を吹き込むような感じです。うまい文章は作家さんがやることです。お任せしています。僕の場合は、懸命に生きている姿を届けるためのツールです。文章があるお陰で、やりたいことやるべきことができます。飾ってはいけない。偽ってはいけない。心が訴えてくることを書くようにします。相手にどう見られるか、判断されるかと、気にしながら書くと矛盾点がでるようになります。自分でも分かるし、読書にも悟られてしまいます。伝えたいことを伝えられなかったほうが辛いです。だからありのままに書くから、人の心を打つのです。

9月10日(日)

 

こんにちは。想いとは無限大です。それが人を突き動かします。そして人を支えてくれます。誰しも悲しくなったり、辛くなったり、どうしたらいいか分からないことがあります。人から優しくされたときを思い出して下さい。必ず1つはあると思います。そして、こんな私にどうして優しくしてくれたか考えます。たぶん想いがあります。力をあげたいから、幸せになって欲しいとか何かしらあります。ほとんど当たり前のことを当たり前にしてあげているような感覚だと思います。けれど、嫌な人や悪い人には親切にはしないです。優しくされる人には何かしら引きつけるものがあるからです。それが、魅力と言います。また優しくされる人は、優しさを有効活用することができます。貰うだけにしません。優しさという力が道を切り開く力に変わります。常日頃、感謝の気持ちも忘れませんし、記憶からも恩が残り続けます。今、立ち止まることは諦めてしまうことは優しくしてくれた人を裏切ることです。けれど、悩みながらも未来へ歩こうと頑張る人には優しさが集まってきます。そして独りでは、生きているのではなくみんなに支えられていると気づきます。私たちには想いが溢れています。自分からも相手からも伝わります。そして、人を変えてくれます。この想いは離れ離れでも、変わりません。繋がり続けます。だから歩いていこう。

9月11日(月)

こんにちは。心機能が回復してよかったです。4月に不整脈が1日中、連発していました。モニターの赤いアラーム音が鳴り響きました。看護師さんが走ってくるから怖かったです。もう心臓が限界にきてしまったと思いました。いつ死んでもおかしくない状態だと悟りました。やっと家族のしがらみから解放されて、自分のことに向けようとしていた矢先でした。悔しくて悲しかったです。看護師さんの前では平常心でいました。怖くて恐ろしくて胸が苦しくなりました。主治医と循環器内科の先生に治療のお陰で治りました。たくさんの栄養を取り、たくさんの水分を取っていたから、心臓も疲れたようです。水分制限が付きました。それから僕は、残された時間と命を楽しいこと幸せなことを懸命にやろうと思いました。まず、自分自身のことを伝えようと思いました。僕がありのまま大事にして愛することができたらその姿に心を打たれ、応援してくれる人が集まると思いました。この日記や公式ホームページもその一つです。生と死の狭間を味わうことは必要だったと思います。それがなかったら、自分のために歩いていないと思います。僕は命がある限り、文章を書いてみなさんに伝えることを続けたいと思います。それが僕の存在意義だからです。

9月13日(火)

 

こんにちは。現実は的確に受け取りました。僕自身のことに対して迷惑をおかけしたことを謝罪し、ご理解して頂いていることに感謝の意を示します。ただこの出来事はデリケートなことですし、心に刺さるような言い方には驚きました。共感や傾聴を学ばれていないようです。僕が学んでいる勉強会でそのような対応をしたら、指導を受けると思います。けれどここは、緩和ケア病棟ではないので体の不調の対応ができたら合格のようです。心のアプローチのやり方も、学んでないから実践されていません。それは変えることのない現実なので受け入れます。世の中には、変えられるものは未来と自分です。変えられないものは過去と人です。僕が自分自身の湧いてくる感情を認め人の置かれている立場を理解しようと思います。誰も陥れようとか企てているわけではないはずです。今よりも僕を含めてみなさんがよりよい生活を心から望んでいます。だからこそ優しく温かく受け取ります。これから僕は過去と向き合う旅に出かけようと思います。今までは未来志向とか好きなことを懸命に続けてれば、症状は和らぐと言い訳をして見ないようにごまかすように逃げていました。けれど、それでは駄目です。変わらないです。最近になって気が付いたことがあります。交友関係や恋愛関係に同じ落とし穴に落ちます。僕は、闇を抱えてくる人が集まりやすく、依存するだけ依存されて心身ともに疲れてしまいます。それは生い立ちや両親の影響が際立っています。過去を振り返って1つ1つ整理して、これは終わったことと蹴りを付けられたら、人のために生きず、自分のために生きるようになるかもしれないです。いい機会だと思います。やれる治療、できる治療があるなら受けてみたいです。

9月14日(水)

 

こんにちは。幸せだと思えると幸せが返ってきます。不幸だと思うと不幸が返ってきます。自分を大事にできないと人を大事にはできません。人を大事にできないと人から大事にされません。人間の悩みはほとんどが人間関係のトラブルです。とあるウエイトレスが持ってきたコーヒーを浴びてしまいました。熱い思いをし服も汚れてしまいました。その人は激しく怒りました。「なんてことしてくれる。ふざけるな。店長を呼んで来い。」と言いました。そして、店長は謝りクリーニング代を支払うことになりました。その人はウエイトレスの対応に納得できませんでした。どうしてそうなるでしょう。ウエイトレスはきっと申し訳ないことも、拭けるものを渡そうと思っていたはずです。けれど、対応ができませんでした。その人が怒りの感情で、人を支配しようと働いているのです。熱かった、嫌だったという想いを自分自身で受け入れられて、怒りを抑えることができたら違う展開でした。この出来事が嫌だった、辛かった、悲しかったとありのままの感情を伝えられたら目と目を合わして謝罪してくれたでしょう。拭くものを渡してくれたでしょう。店長も謝罪してくれたでしょう。クリーニング代も払ってくれたでしょう。全ての願いは叶ったでしょう。また罪悪感が湧かなかったでしょう。後ろめたさもないでしょう。僕はまず、感情を一呼吸ほど置いて考えます。今、どうして辛いのだろうか。この問題をどうしていきたいのか。1つ1つ問いかけていきます。その中でこうなりたかった、こうして欲しかったと伝えるべきです。ちゃんと人を大事にして思いやりをもって。受け取ってくれることも、拒否されることもあるでしょう。自分が選んだ道を正しいと信じて認めて歩いていくしかありません。自分を大事に。何度も続けたら、幸せが勝手に訪れます。諦めず、作り続けている姿を見ると人を応援したくなるようです。僕も日記に書いたことを忘れずに過ごしたいです。振りかえるツールとしても使えますね。

9月15日(木)

こんにちは。昔は自分のことが嫌いでした。この世界が嫌いでした。できないことばかりだったからです。いつもできないことを追いかけました。今思うとできないことはできません。努力しても手に入らないものがあります。それはどうしようもないし、受け入れるしかありません。難病が治らない、自分の力では歩けない、トイレに行けない、お風呂にも入れない、人に迷惑を掛けていると思いました。次第に自分は存在してはいけないと思うようになりました。また家族の理解がない、支えてくれる人がいない、本当に世界や運命は不平等に成り立っているように見えました。そんな自分が何より嫌いになったし、ない。ないと。わめいて騒いでいる姿が惨めで痛々しいのが辛かったです。ふっと僕は素朴な疑問が浮かびました。できないことばかりしかないのか、できることはあるのではないかと重い腰を上げて探してみようと思いました。言葉では簡単に言えますが、遠回りしながら何とか変わりたい幸せになりたい、人生を楽しく過ごしたかったからです。それでも、大きな原動力がありました。腐りかけたこんな僕に声を掛け続けてくれる人がいました。どんなに辛いときでも、どんなに死にたくなったときでも心の奥から優しく温かく隣で見守ってくれる存在がありました。本当に感謝しています。できないことばかりの自分を責めないでできることを探そうと歩き始めました。僕の難病についてです。これって本当に不幸なことだけなのかと思いました。この世界には難病を抱えられた与えられた僕しかいません。難病ではない僕は存在しません。何かしらの意味や価値があるのです。それができることです。難病を伝えることができる、生きることができる、誰かの話を聴いて、アドバイスすることができる、人の役に立つことができる、夢を描くことができる、実はできることばかりです。家族の理解がないことも同じです。本当に不幸でしょうか。誰よりも自立することができました。自分で決断する力や責任を負う力が備わったと思っています。そして支えてくれる人がいる、穏やかに生活ができる、出会いがある、まだ人生を歩んでいく命がある、世界や自然がある、未来がある、実はあるものがも山ほどあります。できることをあるものを有効活用して懸命に生きていこうと思っています。

9月17日(土)

 

こんにちは。毎日が早いです。月曜日から日曜日まであっという間です。朝から夜まであっという間です。もう26歳です。おじいちゃんになりました。本当に人生はいろいろです。生きていると悩みもあります。悲しいこともあります。これは終わることがありません。涙も流すでしょうし、ため息も溢れるでしょう。けれど、そこから何かしら気づくことや感じることがあると思います。そこから成長できる可能性があります。悩みや問題はそう人に必要だから訪れます。人はこうなりたいあのようになりたいと願う生き物です。けれど、うまくいかないとか、怖いとか言い訳をして重い腰を上げられません。僕もその一人かもしれません。人には突き動かされるものはあります。人と人の繋がりから生まれる想いがあります。苦しい時に優しくされたとき、くだらない話をしたとき、笑い合ったこと、懸命に応援してくれる人や手伝ってくれる人に支えられこと、1つ1つは大きくはないかもしれないです。積み重なると、僕はなんでもやれるような、悩みが悩みと思わなくなります。僕が過ごしている場所では、多いです。熱い想いがあります。どんなときでも前向きに過ごさないと申し訳が立たないです。僕からは懸命に生きやれることをできることを懸命に続けることから幸せを味わうことができます。頑張っていきます。

9月18日(日)

 

こんにちは。人間関係がシャープになりました。自分で言うのもおかしいですが、、、ホストのように、いじると褒めると話を聴くということが得意です。相手が求めることを瞬時に判断して無意識に対応してしまいます。サービスして、喜んでもらうと相手から慕われることが楽しかったからです。寂しさをそのときは忘れるからです。けれど、人は怖い生き物です。もっともっと求めてきます。エスカレートしていきます。それも複数です。僕はへとへとになってしまいました。人にはあんまり言うことのできない出来事が起こり、心が傷ついて体調も崩しました。今思うと、全て僕に問題がありました。人から嫌われたくない、孤独になりたくない気持ちがありました。僕の本音を隠しながら、相手に合わせてしまいました。これはとても苦しい日々でした。僕は変わりたいと思いました。1度だけの人生を辛いものにしたくなかったからです。簡単に説明すると、大きな豪邸に住んでいるのですが鍵も付いていない、誰でも出入りできる無法地帯になっていました。その豪邸には、自分のことばかりのことしか話さない人が20~30人ほどいるような感じでした。もし、そんな豪邸を見たらみなさん来たいですか。関わりたいですか。もちろん入りたくないですよね。僕もそう思います。まずは、自分のことばかりしか言わない人は強制退去して頂きました。避けられたり批判されたりすることもありました。とにかく耐えました。みんな帰りました。鍵も付けました。誰もこなくなりました。寂しすぎたので、掃除や本を読みました。そしたら生きる知恵を知りました。自分を愛して大事にできなければ人を愛して大事にすることはできないことに気づきました。変えられるものは自分と未来だけです。変えられないものは人と過去です。僕はありのままに新聞配達にきてくれる人に挨拶できました。そんな矢先に、僕のことを知って訪ねてくれる人がいました。生きている姿に感動したとお手伝いしたいと言ってくれました。この2年間でここまできました。少しずつだけど、温かく優しく過ごせるようになりました。これからが楽しみです。未来脚本を書くことは大切です。願いを叶えるには行動する勇気と具体的な戦略があれば、うまくいくと思いました。当然、敬意と感謝を忘れることなくです。

9月19日(月)

 

こんばんは。敬老の日です。高齢者を敬う日ですよね。65歳以上の方が対象ですか。本人が老人と自覚した人が対象ですか。これでは猪瀬さんに不確かなことを言うなと言われそうです。あれは東国原さんが過去のことを掘り起こすからいけないです。そういう内容ならいいのですが、、橋下さんに勉強しなさいと言われそうです。僕はあまり好きではありません。昔、お母さんのほうのおばあちゃんの家に行くことがありました。お母さんとおばあちゃんとの仲は悪かったです。僕にはとことん厳しかったです。特に食事の作法を指導されました。箸の持ち方や、肘を置かないこと、お皿を1回1回ごとに置くこと、静かにして食べること、水分を取らないこと、早く食べること、三角食べすること、残さないことでした。僕が守らなかったり、言い訳したりすると怒られました。そのたびにお母さんのしつけが悪いというふうになり、お母さんからちゃんとしなさいと怒られました。従妹には優しいのに意味が分からなくて泣きそうになりました。おじいちゃんは僕にも優しかったです。2年前に会いました。90歳ぐらいです。おばあちゃんが優しい時は1度ありました。脳梗塞で入院したとき、お見舞いに言ったらこれでアイスを買ってきなさいとお金をくれました。スーパーカップを食べました。当時は10歳でした。嬉しくて泣きながら食べました。それ以降は会っていません。今は、認知症と脳出血で意識はないそうです。残された時間は少ないと言っていました。今思うと作法や礼儀はおばあちゃんから教えて頂きました。それはそれでよかったのかもしれません。僕が早食いなのは、静かに食べるのは幼かった頃に影響しています。看護師が天然なことやおかしいことを言うと笑いが止まらなくなり吹き出しそうになることもあります。きっと怒られるでしょうね(笑)

9月20日(火)

 

こんにちは。最近は、なるべく自己啓発の本や傾聴の本を手にすることが増えました。昔はこういう本を読んでも、現実は変わるわけないと思っていました。生きることの嬉しさも苦しさも誰よりも知っているとか、上から目線でした。僕は心理学の勉強するうちに、過去のことすら、人生すら否定しています。世の中はこんなもの、仕方がないもの幸せではないけれど、生きるという道を過ごしているだけでした。心理学の講師からのフィードバックや緩和ケアを受けている方のお話や難病指定されている方のお話や健康な方のお話を聴かせて頂きました。本当に世界が変わりました。モノクロの景色からカラフルな景色になりました。生きていることは愛しくて儚くてとても未来ある幸せだと思いました。ちゃんとした病院に入院して、適切な治療が受けられて、食事も摂れて、お風呂にも入れて、優しさや勇気を与えてくれる医療スタッフがいて、凄く恵まれていると思いました。世界を越えて、宇宙を越えて、自然界の流れで、僕をここに存在していること自体が凄く恵まれていると思います。まず、その当たり前のことに感謝しました。僕が病気やどんな境遇があろうと関係がありません。自分が幸せになりたい、穏やかに楽しく過ごしたいと願い行動し、変わろうとすれば世界は広がっていくと思いました。僕はまだ勉強不足です。人生のじ文字も分かっていません。知りたいこと見たいこと感じたいことがあります。本を読んで、人の話を聴いて、自分で実践しています。インプットしたら、アウトプットしなくてはいけません。初めは行動を変えるのは、大変かもしれないけど練習すると苦にならなくなります。楽しみが増えます。次はなにが起こるかとウキウキします。そして体験記にして人に伝えます。僕しかできない役割のように思います。僕はまだまだ若いので色んなことを吸収したいです。

9月21日(水)

 

こんにちは。悲しかった。辛かった。苦しかった。悔しかった。それをちゃんと認めてあげます。おつかれさま。僕が僕を優しく抱き寄せます。涙を流して癒していきます。そして少し冷戦になったら、心の内を整理します。今回の件は無意識に起こっていることだから、迷惑を掛けたと責めることはありません。人は何かしら迷惑をかける生き物です。完璧な人はいません。申し訳ない気持ちになるのは、責任感がつよいからかもしれない。新たな場所から始めればいいのです。ある意味、心が楽になること特典があると言えばあります。人から見てもらえる回数が増えるからです。過去のトラウマだけのストレスだけではなく、現在のストレスもはかりしれません。両方あるから、悪夢や寝言で体が知らせています。1つ1つを分析し研究し、自分自身を成長させようと思います。幸せに生き楽しく生き懸命に生きていれば、いいことが返ってきます。前向きに前向きに信じています。

9月22日(木)

 

こんにちは。どんなときも前向きに過ごせると、必ずいいことが返ってきます。そう信じています。人を思いやること、人を大事にすること、人を愛すること、それを続けると何気ない日々に感謝できるようになります。周りが変わります。優しい人に出会えるようになります。分かってくれる人に出会うようになります。思いやること、大事にすること、愛せる人に出会えるようになります。僕は心が開ける人は少ないです。それでも、2~3人ほどいます。人数とかでは見ないようにしています。質を高くしないとおかしな人が、綺麗な豪邸を荒らしますから。合う人、合わない人は存在します。僕はみんな仲良く笑える環境になるように、生きることを書くことで進めたいです。不可能化は、分からないけど永遠のテーマです。自分が成長すると合う人は減るように思います。ピラミッド状になっているかもしれません。常日頃、自分や人のことや生きることを考えている人は少ないです。たぶん、考える暇がありませんから。僕は良い環境にいます。

9月23日(金)

 

こんにちは。どんな困難や壁も苦しみも悲しみも自分でしか乗り越えられません。お母さんが病気の息子と変わってあげられないようなものです。人ができることは限られています。やれることはあります。お手伝いすることができます。話を聴いてくれたり、誰かが応援してくれたり、理解してくれたりすると心が救われた気持ちになります。その小さな心の支えがあると、頑張れます。人と人の繋がりから幸せを感じて、生きる勇気を与えてくれます。微力の力がその人の人生を変えます。確かに、思考や問題は自分で修正して改善していくものですが、今ここに映る景色は色んな人の想いで作られています。こんな何気ない日々があることに感謝したいです。またこうした恵まれた環境があるのは、自分の中で人を引き寄せる力があるように思います。

 

9月24日(土)

 

こんにちは。クリスマスイブまで3ヶ月です。クリスマスイブとクリスマスは好きです。小学生の頃はひとりぼっちで過ごしました。家族とケーキとか食べた記憶がありません。けれど、テレビから映るイルミネーションは綺麗でした。寒い家の中で、寂しい気持ちを抑えながら祈っていました。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも幸せになって欲しかったです。みんなが仲良く笑っている姿が好きだったからです。それはもう永遠に叶うことはありません。今でも後悔と無念は残ります。僕がもう少し、いい子にしていたら迷惑を掛けなかったら、話を聴いて理解してあげて勇気を与えられたらと、思うこともあります。両親が離婚した時に悟りました。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお互いを愛しているわけでもなかったように思います。自分のこと自分のことばかりだったように思います。多少は愛があったと信じたいですけど、、、人と人の繋がりに対して、親密な関係なんて存在はしなくて、自分の欲求を満たすだけだと思っていました。お互いはないと。頭の中では分かっているし知っているし、人と人の繋がりは薄いものはではない、お互いにとって優しくて温かいものです。正直に言うと人の心に踏み込むのは怖いし、不安です。そこに期待や嫌われたくないという感情が強すぎるから足が震えます。それは人に合わせて踏み込まない理由にしているだけです。僕自身が何も求めず、計算しないでありのままの姿勢や姿を見せられるようになりたいです。変わりたいです。変わりたいです。僕は分かって欲しい訳でもありません。認めて欲しい訳でもありません。慰めて欲しい訳でもありません。本物の関係が欲しいです。お互いに支え合って頼り合える人を。なんでも言い合える人を。笑い合える人を。それを感じたいです。踏み込む勇気です。どんな結果になっても、自分自身が認めてあげられると楽になるでしょう。本物の関係こそが、僕の人生をより深いものにしてくれます。ちゃんとやれる力は身についてます。

9月25日(日)

 

こんにちは。何気ない幸せな文章を書きたいです。今でも下手だと思います。でも好きです。心を整理できたり、伝えられたりすると嬉しいです。僕はうまい文章はいりません。経験したことをありのまま書いています。飾ることも、着色することはありません。リアルを届けています。本格的に文章を書くようになったのは、中学3年生の頃です。受験勉強をしながら、日記を書いていました。色々と悩んでいました。これからどうなるのだろうか。地元にも残りたいけど、柏崎に行こうと決意していました。そのおかげで文章を書くことになります。弁論部で高校2年生の頃に、県の最優秀賞を取りました。1位になるのは、10年ぶりだったそうです。先輩と含めると3年連続、全国大会進出でした。あの頃の、文章もボロボロでした。ありのまま書けなくて言葉を大事にできませんでした。それでも高校生にしては頑張りました。それから10年が過ぎました。最近は、ありのまま書けます。相手の求める文章を書くと息が苦しくなります。いい経験しました。

 

 

9月26日(月)

 

こんにちは。1日はあっという間です。忙しかったり、やることがあったりすることがあって、心の余裕が無くなります。だからこそ、5分でもいいから振りかえて欲しいです。今日は楽しかった?嬉しいことあった?嫌なことあった?全体的にはどう?幸せ?明日はどうしたい?と問いかけて下さい。僕は幸せだと思います。こうして生きているからです。生きていれば、なんでもできるからです。美味しいものが食べられます。本を読むことができます。この熱い医療スタッフが存在しなければ、なにもできません。たくさんの協力と応援があるからこそなんでもできます。当たり前じゃなくて、とても幸せなことです。今を納得して、明日も同じように過ごしたいと思えることが理想です。僕はまだ若いから試行錯誤して過ごしています。その積み重ねが明日を作られていくと思っています。

9月27日(火)

 

詩を書くことは、生きることです。それは今も変わりません。やれること、好きなことだからです。元気が出てきます。もう少し、詩のレベルを上げなくてはいけません。文章と文章の繋がりがよくありません。僕の中で分かっても、読者には違和感しか残らないです。また内容がつじつまの合わないところもあります。色々と課題もあります。隠喩や独特の視点はあるようです。僕は27歳に詩集を作ることを約束しています。仲がいい人にありがとうの気持ちを込めて無料配布しようと思います。そこらへんは未定です。あの頃よりはうまくなりました。詩の朗読会もしたいです。今後は詩のコンクールや詩集の出版や作曲の依頼をしていることもあり、未発表にしておこうと思います。その代わりに五行ポエムをお届けします。夢も目標もちゃんとあります。毎日を懸命に生きたいと思います。僕は命がある限り、文章を書きます。トト姉ちゃんの病弱な花山さんが、「戦争のことを記事にしたい。生涯編集者でいたい。」と言いました。とても共感しました。本当に書きたい書かなくてはいけないと思います。この病気だからこそ、嬉しいことも辛いこともありません。DMDの方でも、みんなと同じく楽しく生きられることを伝えたいです。それが僕の使命だと思います。

 

 

9月28日(水)

 

こんにちは。どんなことがあっても、前向きな姿勢を続けたいです。毎日を懸命に生き、喜びも悲しみもあるけれど、感謝する気持ちがあれば、おのずと幸せが訪れます。僕らしくありのままの姿に誰かが心を動かせることができます。病気だから、難病だから恵まれていないという問題ではありません。自分自身の心の問題です。豊かだと思えば、豊かになります。不幸だと思えば、不幸になります。ちゃんと選んでいます。豊かに幸せに楽しそうに穏やかに過ごしている人は、やっぱり生き生きしているし元気や勇気を与えてくれるから、みんなが集まってきます。そういうふうに、世界はできていて流れています。僕だって一生懸命に生きている人が好きです。ときより悩んだり、辛くなったり、涙を流したりするけど誰かを大事にしたり、愛したり、自分の好きなことをやりたいことをしています。僕もそういうふうな自分を磨いて追いかけて頑張り続けたいです。永遠のテーマです。たくさん失敗して、これからの人生に実をつけられるようになりたいです。以上。

 

9月29日(木)

 

こんにちは。僕が生き方を変えるきっかけになったことがあります。一昨年、女性関係でトラブルになりました。詳細なことは書きないけど、、、心がボロボロになり、体調を崩し、ご飯も食べられませんでした。どうしたらいいか悩んでいるとき、自分自身をよりよくする方法や知恵を学びために、本を読むようになりました。アドラーの心理学の嫌われる勇気と交流分析の本に出会いました。過去に影響されないように、人から振り回されないように、自分のために生きることを知りました。そこから僕に依存してくる人と距離を置けました。僕が凄いと思ったのは、自然の流れがあえて困難や挫折を与えていたように思いました。女性をいじって、ほめて、上げて、下げて、楽しんでいたからです。いい気になっていました。あの頃の自分は人に対して、敬意や感謝が足りませんでした。僕を成長させるために試練と宿題を与えました。僕もあなたもかけがいのない存在でした。お互いに支えたり、頼ったりして、大事にしたり、愛したり、感謝したり、敬意を示したりできる関係を作ろうと思いました。人数ではなくて質です。今、浮かび上がってくる問題や苦しみは、何かしらの意味を伝えています。そこを乗り越えたり、向き合ったり少しずつ、見える世界が変わります。許せなかったことも許せるし、僕とあなたを認めて信じられました。生きていることは楽しくて幸せです。昨日から心が楽になっています。以上。

 

9月30日(金)

 

こんにちは。最近は、心が疲れていました。分かってもらえない、受け入れてもらえない、感じがありました。僕が言っていることは、正論だし間違ってもいませんでした。なんか意地になっていました。ふっと浮かんできました。本当はどうしたいの?本当は何が悲しいの?本当はどうして欲しかったの?自問自答しました。本当は何気なく話をしたかったです。本当は人として大事にしてくれないことが悲しかったです。本当は心から寄り添って欲しかったです。今の彼女たちが応えられるのか、きっと応えられないでしょう。まだ若いからいつか気が付いてくれることを願います。あとは彼女たちの問題なので、頑張って頂きたいです。彼女らとはさよならして、本当に大事な人をきちんと選ばないといけません。教訓を活かす必要があります。僕が変化したから支えてくれる人や頼れる人が少しずつ増えてきました。僕の個人的な課題は、1次感情をうまく伝えることです。そのときに相手を思いやって、自分の意思を伝えることです。アサーションです。

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