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「病気は贈り物」

 

私はデシェンヌ型筋ジストロフィー症という病気を抱えながら入院生活を送っています。この病気は筋肉を作り出すことができません。もちろん手足も動かせなくなります。誰かの手がないと生きていくことすらできません。もちろん呼吸する力も弱くなります。24時間人工呼吸器がないと生きていくことすらできません。一番、辛いのは心臓の収縮する力が弱くなることです。いつ心臓が止まってもおかしくないとお医者さんに言われています。

 

この難病には治療法がありません。人工呼吸器の管理が向上で平均寿命は伸びています。けれど、短命であることは確かです。私は、年齢には一切興味がありません。というか数字に一切興味がありません。短命でも、長生きでもどちらでもいいのです。楽しく納得して人生を謳歌できたらいいのです。いくら長生きしても楽しくなければ意味がありません。それなら短命で楽しく生きたほうがいいと思いませんか?

 

病気を抱えたからこそ、人生は人に合わせて生きるものでもありません。地位と名誉のために生きるものではありません。そういうものに目に行く人はきっと幸せにはなりません。難病になると生きていること自体が幸せなのです。地位と名誉というくだらない承認欲求なんて要らないのです。自分らしく楽しく生きられたらそれでいいのです。

 

私は最近、この病気になったのは人生を豊かにするものだと思うようになりました。昔はそんなふうには思えませんでした。なんで私がこんな病気にならないといけないとか、健康な人が羨ましいとか思っていました。生きている意味すら失っていた時期もありました。けれど、病気という現実は変えることができません。

 

神様に願っても変わりません。実は神様が病気を与えているのです。病気の姿でも前向きに生きることの大切さを伝える役割が与えられているのです。私は開き直りました。病気のことをいくら嘆いて変わることはありません。とても意味がありません。とても時間の無駄です。刻々と病気は進行しているのです。なら自分が好きなことを楽しいことをすればいいと思いました。

 

私は文章を書くことで生きる有難さを伝えようと思いました。私が生きられるのは、看護師さんが懸命に看護してくれるからです。お金だけではお仕事はできないと思います。けして当たり前ではありません。

 

看護師さんの願いと想いがあるから私たちは生きることができます。というか生かしてもらっています。それに対して謙虚な気持ちと感謝の気持ちと尊敬する気持ちを忘れないようにしたいです。看護師さんの健康や幸せを祈ることができます。看護師さんが疲れていれば、労うこともできます。そして、自分の好きなことや楽しいことをして生きることが恩返しだと思います。

 

私は色んな人に生かされているから今、こうして笑えるのです。とても幸せなことです。人を大切にできること、生きることのかけがえのなさを感じられることが病気の贈り物だと思います。私はこれからも生きることについて勉強し夢と目標を叶えられるように行動し努力したいと思います。そして人生を豊かにしたいです。

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