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「僕の使命」

 

僕は「デュシェンヌ型筋ジストロフィー」という病気を抱えています。全身の筋力が衰えていきます。もちろん歩くことができません。1人で着替えすらできません。日ごろから誰かに助けてもらわないといけません。また心臓を動かしたりする力や呼吸したりする力が弱くなっていきます。生と死との狭間の中で過ごしています。確かに病気になったことは不幸なことです。健康な体だったら、今の人生も変わっていたように思うこともありました。どんなに願ってもどんなに悔やんでも、病気という現実は変えることはできません。神様なのか仏様なのか知らないけれど、何かしらの使命や意味があるからこそ、この体と命が与えられたのです。

 

どんな環境でも、どんな境遇でも、どんな困難でも、人は幸せを掴むことができます。僕もみなさんもこの世界に必要なかけがいのない存在です。まず、僕の生きている使命と意味は、この病気の苦しさや嬉しいこと、何気ない日常を伝えることです。これは健康な人では、体験することが困難なことです。しかし、僕なら手に取るように感じることができます。それを飾ることなくありのままに文章にして綴りたいです。そして誰かが手に取り読んでくれて、この病気を理解し、応援してくれるようになったら、嬉しいです。

 

また、同じ病気を抱えている若い方たちに希望を与えたいです。病気があっても、体が弱っても、楽しく幸せに夢と目標を持って生きられることを伝えたいです。命があれば、生きていれば何でもできるし、叶えられない願いはありません。人の力は無限に広がっているからです。それを伝えることが、僕に与えられた使命と意味だと信じています。

 

実はそれだけではありません。僕の体には数えきれない人の想いや支えがあって成り立ちます。僕の場合は、看護師さんから体のケアや心のケアをしてもらっています。過密勤務や重労働です。それでも嫌な顔すらしません。確かにお仕事だし、お金も発生していますが、それだけでは続けることは不可能だと思います。元気でいて欲しい、好きなことを続けて欲しいという看護師さんとしての与えられた使命や人としての優しさが伝わってきます。普段から、ありがとうの言葉だけではお返しにはなりません。僕はありがとうというのは、当たり前の礼儀だと思っています。

 

だとすれば、何をすればというとやるべきことをやり、懸命に生きることです。そして1人1人の存在を思いやり、大事にし、愛し、感謝し、どんなことがあろうとも信じ続けることです。直接は伝わらなくても、その人に想いが風に乗って届くはずです。僕とみんなさんが笑顔で支え合える関係を築けるように生きていきたいと思います。その姿を見せることが恩返しだと思っています。

 

僕が生きられるのは医療スタッフと応援してくれる人たちがいるからです。悲しいことや辛いことがあって、悩むこともあります。助けてもらうこともあります。ときには嬉しいことや喜ぶこともあります。頼られることもあります。僕は26歳ですが、右も左も分からないほど未熟です。色んなことを経験し学び、今より一層、成長したいと思っています。これからの自分と未来が眩しいです。

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