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「ありがとう」

 

私はデシェンヌ型筋ジストロフィー症という難病を抱えています。何度も同じことを書きますが、この難病は遺伝子に異常が起こり、筋肉を作ることができません。歳を取ればとるほど、体が動かせなくなります。日常生活の全て誰かの手が必要になります。また呼吸する力や心臓を動かす力も衰えます。根本的な治療法はなく、良くなることはありません。それよりも悪くなっていきます。

 

私は今年で27歳になりますが、24時間人工呼吸器を使っています。水分や栄養を取るために胃に管を入れる胃瘻造設をしています。みなさんはどのように感じましたか。可哀想な人や不幸な人だと思ったでしょう。それはとても率直な感想です。

 

今はありませんが、私も少しだけそういうふうに感じていました。なんで私だけこんな目にあわなくてはならないのだろうか、同世代の人は就職したり、進学したり、女の子と付き合ったり、昇進したり、結婚したり、子供を授かったり。温かい家庭を築いたりすることはできないと悟りました。そしたら、世界すら真っ黒に染まりました。悔しくて羨ましくて涙が溢れました。そして生きる意味を見失いました。けれど、この難病は変えることのできない現実でした。2~3年ぐらいは苦しみました。

 

本当に難病があるからなにもできないのか?難病のせいにしていないか?と疑問が浮かびました。私はみんな同じように眩しく生きたいだけでした。私なりに行動して努力を積み重ねれば、幸せになれるかもしれないと思いました。

それからは、前向きに歩くことができるようになりました。

 

音楽活動もしました。講演活動もしました。詩が歌にもなりました。好きなスイーツも食べました。資格を取る勉強もしました。少女漫画も読みました。外にも出られました。本の出版もしました。新聞にも乗りました。実は、難病があろうとなかろうと、やる気になれば叶わない願いはありませんでした。世の中には、どうしても手に届かないものはあります。それは私だけではなくみなさんと同じように、できることとできないことは平等にあると思いました。そういうときは、ありのままに欲しかったと認めました。

 

そして大切なことに気が付きました。先ほどにも書きましたが、私は誰かの手がないと生きていくことすらできません。こうして今、穏やかに好きなことをして楽しく過ごせるのは、看護師さんがいつも通りに車椅子に乗せてくれて、呼吸器をつけてくれて、薬をいれてくれて、お風呂に入れてくれて、着替えさせてくれて、食事をたべさせてくれて、数え切れないほどあります。看護師さんの想いを感じるたびに感謝しています。いつもどんなときも優しくしてくれてありがとうございます。

 

そして、与えられた命を味わえることが嬉しいです。私だけの力だけではなく、支えてくれる人がいるから、命があるから、色んな力が集まっているから、生きられます。それに気づきました。だからこそ、ありがとうを込めて私の文章を届けたいと思います。私の見た目は病弱ですが、心はみなさんと同じように、沈んだり、上ったりしています。私は幸せに生きています。命ある限り夢と目標を持って実現できるよう頑張りたいと思います。

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